2009年11月30日
“徹底的に”自分に愛を注ぐ
ナマステ
先日、ご紹介した
『愛のコーヒーカップ』
『自分を大切に思い、丁寧に扱い、本音に耳を傾け、自分に対してたくさんの愛を注ぐこと…
これを徹底的にしてほしい』
というメッセージが込められたお話です(*^▽^)/★*☆♪
本当は、みなさんに小冊子を読んでいただくのがイチバン
なのですが…
私なりにショートカットで伝えてみようかな







ここに2つのコーヒーカップ
があります。
二人はおいしいコーヒーを飲みながら、楽しく話をしています。
気がついたら相手のコーヒーカップは空でした
自分のコーヒーカップも空であってもそれは無視
当然のこととして、相手のカップにコーヒーを注ぐことを教わって生きてきましたから、何の疑いもなくそうします
“相手のために”自分を犠牲にすることを道徳として教え込まれてきたから、こんなこと、“当たり前”(^-^)/
そして自分のカップは空のまま(* ̄O ̄)ノ
その時、耳元で何か囁き声が


“相手より自分のカップにコーヒー注ごうよ”
“自分のカップにあふれるほど注ごうよ
罪悪感は捨てて
コーヒーをなみなみ注ぐって気持ちいいぞ
”
囁き声に誘われ、自分のカップにコーヒーを注ぐ…
とくとくとく…
カップの八分目まできて、手を止めかけると、また
“さあ!もっともっと”
あっという間にカップは表面張力でいっぱい(@_@)
もうこれ以上一滴でも注いだらこぼれちゃう(>_<)
でも
“もっともっと
”
の声に、さらに注ぎ続けました…
“もう、あふれる!”
と思った瞬間に、カップとソーサーの下に自動開閉の弁が現れた
そこからパイプがスルスルと伸びて
テーブルの下を通って相手のカップに繋がったのです
そして、そのパイプで“下から”コーヒーを満たしていったのです(*^ー^)ノ♪
自分のカップになみなみと注ぐことだけ…
それなのに、あふれた分は、こぼれることなくパイプを通って相手のカップを“下から”満たしていった
…相手から「ありがとう」を期待したくなるのは
相手のカップに“上から”注ごうとするから


無理して、自分を犠牲にしてやってあげていると思うから


だから、相手に対して
「ありがとうが足りない」と文句を言ったり
「あんなにしてあげたのに…」とぼやきたくなる


『自分を満たすことは独りよがりでも、わがままでもなく、実は自分だけでなく周りをも愛で満たすことなのです』
このコーヒーカップのからくり、ピンときますか?
ここでのポイントは
“自分のカップに注ぐとき八分目で止めない
あふれるまで注ぐこと
そして注ぎ続けること
”
すると、パイプはどんどん増えていき…
家族、
友達、
知人、
ご近所、
会社の人、
親戚…
のみならず
市町村の人口全部、
日本全体にまで増えていき
ついに
世界中の人口を網羅
『自分のコーヒーカップを満たすことで、そして、満たせば満たすほどに、どこにも無理がかからず、世界が満たされるというからくりがあったのです(*^-')b』
「自分に愛を注ぐ」
ことと
「自分を甘やかす」
ことは“似て非なるもの”
自分を愛することも適当なところで止めてしまったら、それは単なるわがままになるのです(´Д`)
だから“徹底的に”自分に愛を注ぐ(*^▽^)/★*☆♪
カップに愛があふれた人がどんどん増えたとき、
パイプで繋がった愛の思いは一瞬にして世界を平和にしてしまうでしょう




…というお話です


そこで
『自分を愛する』
これがわからん
…ってことになると思うのですが
これについては
今現在、様々なツールがありますよね


『バシャール』しかり、
『オーラソーマ』しかり。
スピリチュアル、精神世界というのは
この『自分を愛する』ことが共通のメインテーマ
『自分を戒める』教えである“宗教”とはまったく違うわけです


だから、私が急にこんな話始めたからって
「大丈夫?へんな宗教入ったんか?」
な~んて思わないでね(笑)(笑)(笑)
“JOY
”

なお
精神世界

先日、ご紹介した
『愛のコーヒーカップ』

『自分を大切に思い、丁寧に扱い、本音に耳を傾け、自分に対してたくさんの愛を注ぐこと…
これを徹底的にしてほしい』
というメッセージが込められたお話です(*^▽^)/★*☆♪
本当は、みなさんに小冊子を読んでいただくのがイチバン

私なりにショートカットで伝えてみようかな








ここに2つのコーヒーカップ


二人はおいしいコーヒーを飲みながら、楽しく話をしています。
気がついたら相手のコーヒーカップは空でした

自分のコーヒーカップも空であってもそれは無視

当然のこととして、相手のカップにコーヒーを注ぐことを教わって生きてきましたから、何の疑いもなくそうします

“相手のために”自分を犠牲にすることを道徳として教え込まれてきたから、こんなこと、“当たり前”(^-^)/
そして自分のカップは空のまま(* ̄O ̄)ノ
その時、耳元で何か囁き声が



“相手より自分のカップにコーヒー注ごうよ”
“自分のカップにあふれるほど注ごうよ



囁き声に誘われ、自分のカップにコーヒーを注ぐ…
とくとくとく…
カップの八分目まできて、手を止めかけると、また
“さあ!もっともっと”
あっという間にカップは表面張力でいっぱい(@_@)
もうこれ以上一滴でも注いだらこぼれちゃう(>_<)
でも
“もっともっと

の声に、さらに注ぎ続けました…
“もう、あふれる!”
と思った瞬間に、カップとソーサーの下に自動開閉の弁が現れた

そこからパイプがスルスルと伸びて
テーブルの下を通って相手のカップに繋がったのです

そして、そのパイプで“下から”コーヒーを満たしていったのです(*^ー^)ノ♪
自分のカップになみなみと注ぐことだけ…
それなのに、あふれた分は、こぼれることなくパイプを通って相手のカップを“下から”満たしていった
…相手から「ありがとう」を期待したくなるのは
相手のカップに“上から”注ごうとするから



無理して、自分を犠牲にしてやってあげていると思うから



だから、相手に対して
「ありがとうが足りない」と文句を言ったり
「あんなにしてあげたのに…」とぼやきたくなる



『自分を満たすことは独りよがりでも、わがままでもなく、実は自分だけでなく周りをも愛で満たすことなのです』
このコーヒーカップのからくり、ピンときますか?
ここでのポイントは
“自分のカップに注ぐとき八分目で止めない



すると、パイプはどんどん増えていき…
家族、
友達、
知人、
ご近所、
会社の人、
親戚…
のみならず
市町村の人口全部、
日本全体にまで増えていき
ついに
世界中の人口を網羅

『自分のコーヒーカップを満たすことで、そして、満たせば満たすほどに、どこにも無理がかからず、世界が満たされるというからくりがあったのです(*^-')b』
「自分に愛を注ぐ」
ことと
「自分を甘やかす」
ことは“似て非なるもの”
自分を愛することも適当なところで止めてしまったら、それは単なるわがままになるのです(´Д`)
だから“徹底的に”自分に愛を注ぐ(*^▽^)/★*☆♪
カップに愛があふれた人がどんどん増えたとき、
パイプで繋がった愛の思いは一瞬にして世界を平和にしてしまうでしょう





…というお話です



そこで
『自分を愛する』
これがわからん

これについては
今現在、様々なツールがありますよね



『バシャール』しかり、
『オーラソーマ』しかり。
スピリチュアル、精神世界というのは
この『自分を愛する』ことが共通のメインテーマ

『自分を戒める』教えである“宗教”とはまったく違うわけです



だから、私が急にこんな話始めたからって
「大丈夫?へんな宗教入ったんか?」
な~んて思わないでね(笑)(笑)(笑)
“JOY





精神世界
Posted by なお☆ at 21:30│Comments(0)
│笑う女☆の冒険