2011年07月17日
父、永眠。(続き)

おかあさんは、おとうさんのそばから離れられない…(あたりまえですね)。
三男と私で、連絡すべきところへ電話する。まず、『訪問看護ステーション』『かかりつけのドクター』『本家』そして『葬儀屋』へ。
20分ほどでドクターY到着。検死をしてもらい、『死亡診断書』を書いてもらう。ドクターが検死をした時刻が死亡時刻となります。(これ、しっかり確認しないといけません


長男(相方)、次男、孫の学校にも電話を入れる。
ほどなく、孫息子が帰ってきて泣き崩れる。孫娘も同じく。
私は、やるべきことに必死でこの時点では“うるっ”とはきても泣き崩れることはなかった。
訪問看護師さんが到着。これから、おとうさんのカラダをキレイにして浴衣を着せてくれる。
その前に顔を見ますか?と言われ、やっと、おとうさんの近くに行った…ら、もう涙が溢れて止まらなくなって…しばらく泣き崩れてしまった。
落ち着いたあとは、看護師さんにお任せして…私には続々とやることが押し寄せる。
まず『見舞配分』の用意。(見舞配分って言葉、今回初めて知った)パームシティのサービスコーナーで洗剤の詰め合わせを10個!ひとりで持てるわけないやん!と、そのとき気づき、カートに乗せてヨタヨタと運ぶ。車の運転しながら、時折、涙が溢れてくる。
そして、ご近所に『見舞配分』を配り挨拶に行く。(看病の甲斐なく亡くなりました、という報告)
隣保班の班長さんに、通夜と葬儀の報告をし、放送してもらう段取り。
自治会長さんに、トメ焼香のお願いをしに行く。
お参りに来てくれる人にお茶を出す→洗う、の繰り返し。
親戚の分の夕食の買い出し。
夜、9時頃から葬儀屋さんと打ち合わせ。これがかなりくたびれた


おかあさんは、「この子らに任せてるから」の一点張りで丸投げやし


そのわりに口出しするし

本家のおばちゃんも知らんこと、私らが知ってるわけないっしょ

みんなは、おとうさんを看取った達成感でヘンにテンション高くなってくるし…
こっちは、おとうさんのカラダに近づくこともままならず、で

私、ちょっと1回キレた(笑)「やることやってしまおうよ!」ってな感じで。
はしゃぐ孫娘に「ウルサイ!あっち行け


「筆ペンは



お寺さんのお布施…筆ペンを持つ手が震えそうになるのを抑えながら書いてたら「なおちゃん、やっぱ上手いなぁ」
…とか言われても今素直に喜べやんし

その日は、(とは言え夜中2時頃でしたが)私だけ自分の家で、どんちゃんと寝た。「落ち着け!私!!」と言い聞かせるが、しばらく興奮してたなぁ

“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
Posted by なお☆ at 18:52│Comments(0)
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