2011年05月30日
要介護 4

20日にようやく介護認定がおりた。要介護4。
床擦れかと思ったら“低温やけど”でした

エアベッドは、本人にとって寝心地いいみたいだけど、私たちが以前の感じで横に座ると、おとうさんのカラダが傾くので、その瞬間めっちゃ痛いんやって(^-^;
点滴が毎日になって往診も週1回、介護保険の範囲をオーバーすることに

こんなこと言ってはなんですが、せっかく入院給付金の出るタイプの保険に入ってても、一円の足しにもならないのです(-_-;)
保険やさんも人の特徴を判断して勧めてよな〜

“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年05月31日
愚痴ってしまえ〜

おかあさん、「もう、ガマンの限界

おとうさん、おかあさんに対してモノの言い方がキツイ!
ぜ〜んぶ、やってもらっているのに、何から何まで「気に入らん

そのくせ、そばに居ないと機嫌が悪い

昨夜は、オムツ大して汚れてないのに何回も替えさせて、おかあさん1時間しか寝てないんやて

最近、ホンマに痛いのかわからんときあるんよな、私から見てても…
「こっちが倒れてまうわ

弟は「入院させな、オカンがつぶれてまうぞ」と言ったらしいのだが、それに対しては「オイオイ、待てよ」と私は言いたい。
「なおちゃんに手伝ってもらったらええやん、家でみちゃろらよ」と言ったのはどなたかしら?
おかあさんが今さら入院させるわけないやん!
それを知っててなんちゅうこと言うねん

心底、おかあさんの心配するんやったら息子がおとうさんに言うてやればええねん!「オカン倒れてまうからオトハン入院してくれ」って!!
……あらら、私まで愚痴っちゃイカンイカン(^-^;
まぁ、結局は夫婦の問題なんですよね。
私は…
相方には悪いけど、おかあさんみたいにはなれません。
甘え厳禁!
そこんとこ、ヨロシク

“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年06月02日
時間は守らなきゃ、だよね〜

往診の先生、点滴しに来る訪問看護師…時間にルーズなんです

連携がとれてないんでしょうね、言ってることがマチマチです(^-^;
来ると思って待ってたら来ないとか、何回もありまして…
おとうさん神経質なもんやから寝たきりでも時間に細かくて、自分なりに“ココロの準備”をして待ってるのです。
だから誰かくるとなると、かなり“気ぃ張って”待ってる…。
ゆえに時間通りに進まないと、もぉ大変


おかあさんも「最初の低姿勢がまったくない


その点、リハビリの先生は“時間きっちり”やし、おとうさんとも話が合うし、全幅の信頼をおいてます。
世の中、介護の会社も数多ありますからね〜
信頼って大事だと思うんですけどね〜
まず時間きっちりは基本でしょ〜
…とは言え、こちら側も“感謝”を忘れちゃイカンぜよ


“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年06月04日
嵐の前の静けさ?

あんまり痛がらないし…
食事も摂れるようになってきた…
もしかして、“枇杷”が効いてる?(私としては“靈氣”も効いてると確信してる)
もしかして、ちょっとずつ悪玉もやっつけつつあるのでは?
…な〜んて、期待しつつ麻酔科のドクターSに問うてみた。
が、これも終末医療のパターンのひとつだとあっさり期待をかき消された



おとうさんの場合は、苦しまずに眠るように“そのとき”がくると思います。…だって。
宣告された日は刻々と近づいている…まず、そんな風に見えないんだけど。
“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年06月07日
アンディ登場


今日は点滴もリハビリもなし。
「ゆっくり寝よか」と、おとうさん。
おかあさんにも「お前もウトウトせぇよ」って(笑)
「あれ、優しいこと言うてくれるやんか…」と思ってたら2分もたたん間に「オイ、足揉んでくれ」やで

写真は隣の愛犬


最近おとうさんの近くでくつろぐことが多いです。彼女なりに心配しているのかな?
“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年06月22日
覚悟

おとうさん…オシッコが自力で出せなくなってお腹パンパン、管を入れて抜いてもらうことになりました。
19日夜、ティッシュ3箱使うほどの大量の嘔吐(血も吐いた)、それから口にモノを入れると嘔吐を繰り返します。
その嘔吐が…胃の中が腐敗してるのか?黒緑の液体をゴボゴボと大量に吐きます。
痛みは感じないようですが「しんどいなぁ」を連呼。
夜一人じゃ大変ではないかと支援を申し出てみるも、夜は夫婦水入らずで過ごしたいとのことで却下。
毎晩、手を繋いで寝ているそうです。そこには夫婦だけの会話もあるのでしょう。
もう、覚悟しとかなアカン…らしいです。
“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年06月22日
長男の嫁

おとうさん、今日もオシッコを管で抜く。
約1リットルほどお腹に溜まっていた…。
ふくれたお腹を看護師さんが押しながらペットボトルに出していく。
毎日管の出し入れは大変やから、管を通しといた方が楽かも…とのこと。
発熱37度4分。カラダは最後の力を振り絞って闘っているんですね。健気です、肉体は。
「暑い暑い」と、しきりに氷を口に放り込めと言う。唯一、口に入れられるもの。もう「アイスの実」も甘すぎて気持ち悪いんだって。
そして今日、痰の吸引器がきた。
おかあさんに「一緒に説明聞いといて」と言われた。
カテーテルを口に入れると嗚咽が…
「しんどいなぁ、しんどいなぁ」の繰り返し…返す言葉がない。
昨日からチョイチョイ家族会議。
もしものときの行動スケジュールの確認など…。
「長男の嫁」のプレッシャーをガンガンかけられる。
これだから親戚づきあいは嫌だ。
人が死ぬ、ということに対してもっとゆっくり向き合いたいものだ。
「覚悟を決める」の意味がわからん。
もしものときの「連絡をする順番」「誰其れの顔を立てる」「長男の嫁のあるべき姿」など…私は“梨園”に嫁いだのですか?
はぁ〜っ

“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年06月24日
管だらけ。

おとうさんの鼻に、酸素濃縮装置の管が入れられ…
オシッコの管も入れておくことになり…
痰の吸引器もあり…
お部屋が病室みたいになってきた。
“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年07月04日
天国と地獄

まさに、『天国と地獄』を往き来した1週間でした



6月27日、午後9時…おとうさんの容態が悪化。
訪問看護ステーションの方に聞くと「最期が近づいてますね」とのこと。
家族全員が集まり、見守る中、何度も呼吸が止まる…痰が詰まって窒息状態になってしまうのです。
そのたび、カラダを横に向けて背中をトントン叩いてどうにか痰を出して息ができるように、時には口に手を突っ込んで舌が気道を塞ぐのを阻止したり…と家族全員で頑張りました。
段々、その発作の数が増え、間隔も狭くなっていき、夜を徹しての看病が続きます。
おかあさん、長男、次男、三男、長男の嫁(私)、次男の嫁、孫息子(甥っ子)、孫娘(姪っ子)の8人で交代で眠りながらの看病です。
チアノーゼなど何回も危ないシーンがあり、「お別れ」を覚悟した会話を交わしたり、「おとうさん






が、強いです

何回も還ってきてくれる。
そして、還ってくるたび「はぁ〜、しんどかった、死ぬかと思た」「ところで、生きてるんか?」とかフツーに言ってました。
おとうさんの兄弟も集合したり…と、かなりヤバイ状況だったのですが、金曜日の朝、急に「クリームパン食べる」と言い出した。
一同、「え???」
前日、看護師さんが来たとき最大の危ないシーンがあって点滴もせずに帰ってもらっていたし、絶食状態だったし、何より昨日まで4日4晩、死の淵をさ迷っていたっていうのに…
クリームパンですか

結局、クリームパン食べて一言。
「ウマイッ

冷た〜いお茶飲んでも…
「あ〜、ウマイッ

と、大きな声で叫ぶ(笑)
それからは、プリン食べたり胡麻豆腐食べたり出来てます。
持ち直した

おとうさん、スゴイ

翌日、看護師さんが目を丸くして驚いたのは言うまでもありません。
“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年07月06日
甥っ子のプレッシャー

中3の甥っ子は、K中学校バスケ部のキャプテン。
じいちゃん(おとうさん)は、甥っ子が大好きでバスケの試合の応援も病気になるまでは毎回行っていた。
思えば3人息子の誰も『体育会系』じゃないのだ。
家で『体育会系』といえば、おとうさんと甥っ子と私だけ。
(ちなみに、おとうさんは向陽高校野球部でショートやセカンドを守っていたのだ

だから、甥っ子がスポーツ頑張ってるのが嬉しいのだろう…。
先週の『天国と地獄の1週間』の間にも、今月中旬に始まる中体連の試合の組合せの心配をしていたぐらい。
甥っ子にとっては中学最後の大会。万年“3位”を返上したいという気持ちも強かったんでしょう。(わかる〜


おとうさんが生死をさ迷っているとき、私たちに「○○○○


「じいちゃん


…と泣きながら宣言してしまった甥っ子

もらい泣きする私たち



復活後、じいちゃんに「ホンマかいな」と言われ…
甥っ子のプレッシャーや、如何に(笑)
頑張れ




“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年07月06日
ネタがない姪っ子

小6の姪っ子は、ばあちゃん(おかあさん)を助けて、じいちゃん(おとうさん)の世話も甲斐甲斐しくする可愛いやつ

だけど、超☆マイペース(笑)
超☆マイペースで天然なので、いわゆる“いじられキャラ”。
甥っ子みたいに何かに打ち込んでいるわけではなく、割と“のほほ〜ん”としてるんですよね。
じいちゃんに怒られることも日常茶飯事。「○○○



でもね…ホンマ、じいちゃんの世話をする子なんです。入れ歯洗ったり、脚揉んであげたり、アイス食べさせてあげたり…。
先週の『天国と地獄の1週間』のこと。おとうさんの兄弟が集まり見守るなか、「○○○○、バスケ頑張れよ」とか甥っ子の話で一同しんみりしたあと…
おかあさんが姪っ子を呼び「おとうさん、○○○もはたにいてるで」と言い、「じいちゃん」と姪っ子が呼びかけると…
「○○○〜、ネタがない〜」と、じいちゃん。
一同、シーン

こんなに世話してもらってるくせに…ホンマ、どこまで男尊女卑やねん

ま、言われた本人(姪っ子)は、さほど気にしてない様子でしたけどね

“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年07月06日
はじまったー

寝返りができないおとうさんは、オムツ交換やシーツ交換、着替えなどでカラダを動かすことを嫌がります。
痛くて可哀想なんだけど、体勢変えないといけないときってありますよね

そんなとき、なるべく痛くないように工夫するべく話し合う私たち。あーでもない、こーでもないって。
それを聞いていて不安になるのか…
カラダを動かしにかかると…
「うわぁ









と叫ぶおとうさん。
その言い方が可笑しくて可笑しくて(笑)(笑)(笑)
ついつい笑ってしまう(爆)
「笑い事ちやうっっっ

確かに…笑い事ちゃうんやけど、その言い方も笑える〜(爆)
笑いのツボを刺激された次男は別室へ避難し、ひとりで笑ってました(笑)
一言一言がめっちゃオモロイ(*≧m≦*)ププッ
さっきまで、みんな泣いてたのにね

“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年07月17日
父、永眠。

おとうさん、7月12日(火)11時43分に永眠しました。
最期は安らかに眠るように息を引き取りました。
緩和ケアの実際を書き留めてきましたが、今後は葬儀後の様々な事柄などを書き残したいと思います。
おとうさんが息を引き取る前日に奇妙な雲を見たのも、なにか虫の知らせのようなものだったのかな、なんて、今となっては思います。
その月曜日の夜、高熱でうなされるようになり、呼吸も浅く、荒くなっていました。
そんな中でも…
「おーい、おーい、…えっ!?」
自分のうわ言に返事したりして、笑いをとる、おとうさん。
火曜日の早朝、呼吸が段々弱くなってきたのがわかる。朝から嘔吐、軟便あり。
でも前回の『天国と地獄の1週間』があったため、私たちの気持ちも穏やか。
いつものように孫娘にお茶を飲ませてもらった、おとうさん。(これが最後に口に入れたものとなりました。)
孫たちを学校へ送り出し、長男(相方)も仕事に出かける。
残ったのは、三男、おかあさん、私の3人。
呼吸は弱いものの、穏やかな状態が続きました。
朝からいいお天気だったのに、10時前から急に真っ暗になって雨が降りだした。
カラダやアタマは高熱ですごく熱いのに、手の先が冷たくなってきた。チアノーゼも。
三男は前日も徹夜の看病だったので仮眠をとりに…
おかあさんは、洗濯しに…
おとうさんと2人きりになった私は、初めて「おとうさん、ありがとう」と声に出して言った。
もう言葉では返事することが難しくなっているおとうさんの右目から涙が溢れ出した。
…おとうさん、わかってくれたんやなぁ。
すると、おとうさんの呼吸が止まった。
あかん!私だけで看取るのは忍びない!!
「おとうさん!おとうさん!」と、咄嗟に呼んでしまった。
その声に、おかあさんと三男が集まり、息を吹き返す、おとうさん。
3人で、おとうさんを囲んで、「おとうさん、もう十分頑張ってくれたし、静かに逝かしちゃろなぁ。誰が最期を看取っても悔いはないしな。」と決意を固めた。
私が嫁入りしたときに、おとうさんは「念願の娘ができた」と喜んでいたそうだ。(三男が生まれるときには女の子の名前を考えていたくらい、娘が欲しかったみたい)
そして娘に喫茶店やらせるのが夢だった…と聞かされ、なんか胸がキュンッ

そういえば結婚してすぐ、おとうさんに服買ってもらったなぁ…(セーターとスカートとブーツ)なんて話していて…
おかあさんが「お昼なにする?」と言い出し、“日清焼きそば”することに。
私は、なぜかそのとき「家にチョロッと帰って昨日の残りのカレー食べてくるわ」と席を外したのでした。
隣の自分の家で、昨日のカレーをチンして、テーブルに置いたとき電話がなった。「なおちゃん、ごめん。オトハン…」と三男の声。
慌てて戻ると、おとうさんは笑っているかのような安らかな顔だった。「ホンマに?」と聞いてしまった。さっきまで熱を帯びていたカラダはまだ熱かったし、顔色も良かったから。
最期の最後、そばにいなかったことを悔やみもしたけれど、考えてみれば、おとうさんは私に最後を見せたくなかったか、あるいは「見せないであげよう」という優しさだったのか、はたまた、もう逝きたいのに私がいたらまた呼び戻されると思ったか…?
流し台の上には、手がつけられてないままの焼き上がった“日清焼きそば”が…
“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年07月17日
父、永眠。(続き)

おかあさんは、おとうさんのそばから離れられない…(あたりまえですね)。
三男と私で、連絡すべきところへ電話する。まず、『訪問看護ステーション』『かかりつけのドクター』『本家』そして『葬儀屋』へ。
20分ほどでドクターY到着。検死をしてもらい、『死亡診断書』を書いてもらう。ドクターが検死をした時刻が死亡時刻となります。(これ、しっかり確認しないといけません


長男(相方)、次男、孫の学校にも電話を入れる。
ほどなく、孫息子が帰ってきて泣き崩れる。孫娘も同じく。
私は、やるべきことに必死でこの時点では“うるっ”とはきても泣き崩れることはなかった。
訪問看護師さんが到着。これから、おとうさんのカラダをキレイにして浴衣を着せてくれる。
その前に顔を見ますか?と言われ、やっと、おとうさんの近くに行った…ら、もう涙が溢れて止まらなくなって…しばらく泣き崩れてしまった。
落ち着いたあとは、看護師さんにお任せして…私には続々とやることが押し寄せる。
まず『見舞配分』の用意。(見舞配分って言葉、今回初めて知った)パームシティのサービスコーナーで洗剤の詰め合わせを10個!ひとりで持てるわけないやん!と、そのとき気づき、カートに乗せてヨタヨタと運ぶ。車の運転しながら、時折、涙が溢れてくる。
そして、ご近所に『見舞配分』を配り挨拶に行く。(看病の甲斐なく亡くなりました、という報告)
隣保班の班長さんに、通夜と葬儀の報告をし、放送してもらう段取り。
自治会長さんに、トメ焼香のお願いをしに行く。
お参りに来てくれる人にお茶を出す→洗う、の繰り返し。
親戚の分の夕食の買い出し。
夜、9時頃から葬儀屋さんと打ち合わせ。これがかなりくたびれた


おかあさんは、「この子らに任せてるから」の一点張りで丸投げやし


そのわりに口出しするし

本家のおばちゃんも知らんこと、私らが知ってるわけないっしょ

みんなは、おとうさんを看取った達成感でヘンにテンション高くなってくるし…
こっちは、おとうさんのカラダに近づくこともままならず、で

私、ちょっと1回キレた(笑)「やることやってしまおうよ!」ってな感じで。
はしゃぐ孫娘に「ウルサイ!あっち行け


「筆ペンは



お寺さんのお布施…筆ペンを持つ手が震えそうになるのを抑えながら書いてたら「なおちゃん、やっぱ上手いなぁ」
…とか言われても今素直に喜べやんし

その日は、(とは言え夜中2時頃でしたが)私だけ自分の家で、どんちゃんと寝た。「落ち着け!私!!」と言い聞かせるが、しばらく興奮してたなぁ

“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年07月17日
父に贈るもの。


翌朝、マジマジとおとうさんの顔を見ながら…「おとうさん、男前やな」とか思ったりした。
棺に入れてあげるものを用意しなければいけません。
実際は、あとから“あれも、これも”と出てきたのですが、私は“向陽”の選抜甲子園出場の時の帽子と必勝ウチワを。そして、どんちゃんの写真も。
14時半、葬儀屋がおとうさんを迎えに来た。
寝台車に乗せられて…大好きだった“家”をあとにします…
どんちゃんと一緒にお見送りしました。おとうさん、どんちゃんの散歩


“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年07月18日
おとうさん、カッコイイ!

一足先に斎場に到着したおとうさんの姿を見ると、惚れ惚れするぐらいカッコイイ

176cmのカラダに藍色の浴衣を纏い、黒の帯を腰骨辺りで締めて…
病床につくまでは、お腹だけかなり出てメタボちゃんだったのが、お腹もペタンコになり、筋肉は落ちたものの、往年のスポーツマンを彷彿させる風貌で…闘病のあとがみえないぐらいです。
亡くなる前の1週間は、よく食べていたので頬も痩せこけてはなかったし。
これから、『末期の儀』が行われます。
お風呂が大好きだったおとうさん。頭もカラダもキレイに洗ってもらい、顔も綺麗にしてもらい(そのままでも十分綺麗だったけどね)
そして、納棺。
棺の蓋が閉められ、小窓から覗いたら、おとうさんがメチャクチャ遠く感じた。
バタバタと時は過ぎ、お通夜が始まる…
司会の人が「故、○○○○○○○」と発した瞬間から、涙が止めどなく溢れ出て止まらなくなった。予想以上にたくさんの人がお参りしてくれたから本当に嬉しかったな。
夜通し、おとうさんの名言&迷言で大笑いしながら過ごした。
聞かされていたほど、親戚も口うるさくなかったのでホッ

“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年07月18日
いいお葬式。

一夜明け、告別式。
こちらもたくさんの人にお参りしていただきました。
おとうさんの人柄と共に、頑張った家族を讃えてお参りしてもらえたようです。本当に有り難い。
おかあさんに代わって喪主を務めた相方は、考えていたより伝えたいことが溢れ出したようで涙で声を詰まらせながらの挨拶でした。
私は、その辺りから頭真っ白になるくらい泣きまくってしまって…
膝ガクガク

家族全員泣きまくっていたようです。
出棺してマイクロバスで和歌山市の斎場へ。
私、ここ初めて来たのでビックリした


リフトのようなものに乗せられたおとうさんの棺は機械的にレールの上を滑り火葬の部屋へと入っていってしまった。
私たちは、ガラス越しに、その扉が閉まり相方が火葬のスイッチを押すのを泣きながら見つめていた。
押した瞬間、崩れ落ちそうになるおかあさんのカラダをガシッとつかみ、マイクロバスへと戻った。
帰りのバスで私は用意していた「おかあさん、お疲れさん」の言葉を贈った。
泣き続けるおかあさんに「今日は泣いても許される日やから気済むまで泣いていいよ」と声をかけたが、それ以上は何も言えなかった。
思いっきり泣いてスッキリしたのか、おかあさん復活!!そのあと、めっちゃ食べて騒いでた(笑)
初めての経験で“いっぱいいっぱい”だったけど、親戚や参列者の方に…
「あったかい、いいお葬式やったよ」
「家族のチームワーク見せてもらって気持ちよかったよ」
「嫁さんや孫があんだけ泣くお葬式も珍しいで。○○ちゃん幸せモンやな」
などと言ってくれて…ありがたかったです

「いいお葬式」ってなんなんやろう?って、よくわからないけどね

“OM MANI PADME HUM”☆なお☆
2011年07月19日
父の愛。

おとうさんの遺品の整理をしていたら…
こんな写真が出てきた

結婚前、関西サイクルスポーツセンターに相方と遊びに行ったときの写真。いわゆる、デートの写真(笑)
えーと、23とか24歳ぐらいの私の写真

おとうさんが生前、仕事に行くときや出かけるときには必ず持っていたというBAGのなかから出てきたそうです

どうやって、おとうさんがこの写真を手に入れたのか不明。
私も相方も渡した記憶ないし。
でも…持ち歩いてくれてたんやなぁ…私の写真。
…ホンマに娘と思ってくれてたんやなぁ。
…仕事場で見せたりとかしてたんかなぁ。
切ない

切なすぎる

あぁ、もっともっと、おとうさんに甘えたらよかった…。
喫茶店の話も聞きたかったな。
おとうさんの棺に入れる寄せ書きを書くとき…
(実の父親がいない)私が嫁いできたとき、ボソッと…
「(自分を)オトハンと思たらええんやっ!!(ホントの)オトハンいてないからって、なんも気にすることない!」
と、なかば怒りぎみに吐き捨てるように言われたことを思い出した。
不器用なおとうさんの最高の優しさ。
だから、寄せ書きには「おとうさんの娘になれて幸せです」と書いた。
4月から3ヶ月ちょっとだったけど、おとうさんの看病して良かった

仕事続けてたら、きっと後悔してたと思う。
“OM MANI PADME HUM”☆なお☆